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2013. 03. 21  
私は、ピアノ初心者村のブロガー、ピアノ弾きの物理学者さんの読者です。
3月21日付けの記事では「酔った勢いで数時間も計算」されたとのこと。

なんじゃぁ!?ヽ(゚Д゚;)ノ!!

私にとっては、別世界の人間…というか、宇宙人みたいな方です。

「天は二物を与えず」というけれど、世の中にはマルチ才能に恵まれた人もたくさんいます。

ピアノ演奏に関しても、本業が理系的分野でありながらプロ並みの人が…。

医学者のシュヴァイツァー博士は、もともとバッハ研究が専門で、オルガニストだったそうで。

002_20130321170943.jpg


これは、前々回記事で書いたニューヨークの巨大古書店Strand’s での収穫物です。
シュヴァイツァーのバッハ論。
上下2巻なのですが、下巻しか見つけられなかった。
もっと真剣に探せば上巻もあったかもしれないが時間がありませんでした。
今アマゾンで調べたら、5000円以上するようです。
私は8年ほど前、ストランドで、2~300円相当で買いました。

シュヴァイツァーの孫の女性も医者でピアニストだと記憶しています。
私が中学生か高校生の頃、福岡のコンサートで演奏を聴いたことがあります。
きれいな女性でした。(天は3つも与えている!)

それから、私が敬愛する神谷美恵子(医者で、語学の天才で、マルクス・アウレリウス『自省録』の訳者の)も、バッハ演奏はアマチュアの域を超えていたそうです。

神谷美恵子の天才ぶりはすごい!
東大病院の医局に、憲法草案に関わるGHQとの交渉の翻訳・通訳者とするための迎えが来たとき、東大の教授が「今、東大は美恵子さんを手放す訳にはいかん」と拒否したら、「美恵子さんは東大の美恵子さんではなくて、日本の美恵子さんなのだ」と言い返された、とか。
(これもどこかで読んだうろ覚え。文言など正確ではありません。)
彼女は結核になった息子さんのために、ピアノ個人教授をして薬代を稼いでいました。

数学者にもピアノが上手な人が多いようです。

私は、数学や物理はとことん苦手です。
大学入試数学は、とにかく簡単な計算ドリル的なことを繰り返し、青チャート2冊の例題の解法を「写経」するように何度も書いて覚え、「数学は暗記だ!」という邪道でなんとか乗り切りました。

共通一次の前の「一期校・二期校制度」の最後の年の受験生でしたので、文系といえども、マークではなく記述の数学が必須でした。

「エレガントな解法」とか「別の方法で解いてみる」とか議論しているヤツらの理系アタマはどういう仕組みになっているんだろう?と、数学コンプレックスをずっと持ち続けています。

また、音楽的なセンスも、悲しいかな、全くない。
ピアニストはじめ、作曲家や指揮者、楽器奏者のアタマの作りも不思議で仕方がありません。

だから、ピアノも「さんすうドリル」や基本例題集を繰り返しさらうのと同じ方法でしか習得できません。

劣等感は強い憧れに転化するもので、私は音楽家や数学者の(を)書いた本や評伝を読むのが大好きです。
もちろん数学者が書いた数学の本なんか、読めやしませんがね…。

子どもたちが母には全く理解できない数式をちゃかちゃか書いて問題を解いているところを見ると、もう一回、数学をきちんと勉強したら面白いだろうなぁとも…。

そう思って、数年前に読んだS.ラングの『さあ数学しよう! ハイスクールでの対話』は面白うございました。
…正直に告白すれば、本当は紙と鉛筆で計算しながら読み進めるべきところはすっ飛ばして、フランスやアメリカ、カナダ、旧ソ連などの数学教育について議論した「後記」のところが一番おもしろかった!

そして、このS.ラングという数学者もピアノの名手だそうです。
いいなぁ、理系アタマの人、ピアノが上手な人!
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おそらくですが
ぶるっくさま

私のこれまでの経験ですと、物理が嫌いとか苦手とか言う人のほとんどは物理ではなくて数学が嫌いなことが多いようです。例えば、アインシュタインの相対性理論など、数学を使わずにお話として聞く分には面白いのでは? 速く動くと時間がゆっくりと進むとか、想像しただけで楽しくないでしょうかね? 宇宙やブラックホール等の話も楽しいと思いますよi-185 もちろん、それを頭の中できちんと理解するという段階まで進もうとすると、どうしても数学という自然界を記述する客観的な言語が必要となる訳ですが…。数学というのは世の中で最も客観的で論理的な言語にすぎません(物理学者としての立場からの意見であって数学者には怒られるかもしれませんが…)。他にも、量子力学なんて言うのは相対性理論以上に不思議な学問ですし、色々と一般向けの啓蒙書等もあるので、読んでみると楽しいと思います。数式が多少出てきても無視すれば良いのです。それでも楽しめる構成になっていることが多いと思います。量子力学に関しては、お薦めは朝永振一郎(ノーベル物理学賞受賞者!)先生の「光子の裁判」です。これは講談社学術文庫から出ている「鏡の中の物理学」という本にあります。もちろん、「光子の裁判」以外の内容も楽しめると思うので、是非読んでみることをお勧めしますが、多少数式が気になるかもしれませんけど、無視して結構です。また、科学雑誌の「ニュートン」でも色々と特集が組まれることがありますが、やはり宇宙論や量子力学等は結構人気があるようです。

そして、話を「天は二物を…」というところに移しますと、上に出てきた量子力学の創始者の一人であるハイゼンベルグ(行列力学や不確定性原理などで量子力学の創設に貢献)は、(確か大学に進むときだったと思いますが)ピアニストになるか科学者になるか真剣に悩んだそうです。ピアノの腕もピカイチだったそうです。このあたりは「部分と全体」という書物に書かれています。

私は物理学者としてもピアノの腕もハイゼンベルグには到底及びませんが、物理学者でかつピアノ弾きでもあると周囲に言えるよう、早くピアノの腕を上達させたいです。ということで、現状は二物は与えられていないのです! 私のブログのタイトルは、実際には
ピアノ弾きの物理学者♪---を目指して!---
ということで、(「ピアノも弾ける」という部分を)目指している段階です。

さらに、常に頭の中で考えていること等は、着想を得たら酔っぱらっていようが、睡眠不足であろうが自分で納得するまで計算したりしたくなるものです。そうしないと、気持ち悪くて落ち着かないんですよね〜。とこういう考え方が普通受け入れられないようですが…(でも、皆さんも何か思い出せないことがあって気になって気になって仕方が無いというようなことありますよね? あれに近い感じかな? ただ、まだ世界で誰もやっていないことをやるのが研究なので、何かを調べれば解決ということが無いという点が違いますが。一番じゃなきゃだめなんですよ、この業界は!(笑))、皆さんも自分が好きなことをやっているとあっという間に時間が経過していくような感じがするという経験がありますよね? 私は計算したり頭の中で色々と物理のことを考えているとそういうことがしょっちゅうですね。最近は、ピアノの練習もそう感じられるようになってきました♪

ブログの途中で出てきている「エレガントな解法」や「別の方法で解いてみる」ということに関しては、帰国後に私もブログで書きたいと思っています。

ちょっと長くなってしまいましたね。この辺で。
みつこの裁判?昼ドラかいな?
うわお!
質・量ともにすごいコメント、ありがとうございました。

面白そうな本の紹介をありがとうございます!

朝永振一郎のエッセイはいくつか読んだことがあります。

「鏡の~」というのは、何か覚えがあるぞ…と、今、書庫の古層をほじくりかえしたら、
『朝永振一郎著作集』の「1鳥獣戯画」と「12紀行と閑談」の2冊を発掘しました。

読んだ、読んだ!大昔に。
1巻に「鏡のなかの世界」という章がありました。
そして、「庭にくる鳥」というのが名文の誉れ高い…ということも思い出しました。

ここまで書いて、ついぱらぱらと読み返していました。
あとで、じっくり読み返してみよう。
箱入りの布装、パラフィン紙つきの2冊。
全12巻の最初と最後だけ読んだみたいですが、内容はすっかり忘れています。

1巻は1981年出版の本で、12巻は1983年出版だから、新刊で買ったに違いない。
つまり30年前に読んだということです。

4巻の「科学と人間」は独立して文庫化されていないかな?
それともそのタイトルはウィーナーの本だったっけ?

おすすめの「光子の裁判」は所収されていませんでした。

物理学者さんのコメントすごい!と家族に読ませ、
私が「朝永のエッセイ集読んだけど、その中には“みつこのさいばん”はなかった」と言うと、
理系の夫と娘から、あんぐり顔されました。

「あのねぇ、お母さん、それは、“みつこ”じゃなくて“こうし”!」
「みつこの裁判だったら、昼ドラじゃん!」

著作集の1に「数学がわかるというのはどういうことであるか」という章がありました。

それを読んで…、
やはり、私にとって、ブツリガクシャもスウガクシャも同程度の“エイリアン”です!

ブログっていいなぁ!

エイリアンとも交信できる…もとい、視野が拡がる!

どうぞ、これからもよろしくお願いします!

「ビールが好き」ということだけが括弧にくくれる同類項のよしみで、リンクを貼らせていただいてよろしいでしょうか?

*頂戴したコメント、とっても充実していて読み応えがあり、私だけが読むのはもったいない感じ。
物理学者さまのブログに転載されてはいかがでしょうか?
ぶるっくさま、鋭いですね!
時差があるので、すぐに返事が出来ないので、休憩時間に書いてます(笑)

結局のところ、量子というのは古典物理(量子力学以前までのいわゆるニュートン力学やマクスウェルの電磁気学等)ではあり得ない粒子性と波動性を併せ持っているという性質が本質の1つです。朝永先生の光子の裁判ではこの点が上手く描かれていると思います。流石です。それとかけていると思うのですが、光子(こうし)はある時は“こうし”で、またある時は“みつこ”でもあると。という訳で、実はぶるっくさまは間違っていないんですよ!
これは確実ではありませんが、そのような話を聞いたことがあります。普通は共存しないような性質が共存しているということにかけているということです。ただ、ここで共存と書きましたが、あまり適切な表現ではない気がします。というのも、よく量子力学の一般向けの解説で混乱を招く表現として、「量子は粒子でもあり波でもある」と。こう書いてしまうと、粒子性と波動性が同時に現れるような可能性まで含んでしまいます。しかし、実際にはそうではなく2つの相補的な性質を持っているというだけで、同時に2つの性質が現れることはありません。ただ、普通我々が生活している世界観では粒子である(例えば)ボールが波でもあるということは無いですよね。そこが量子の不思議です。量子の場合、波として振る舞うこともあれば粒子として振る舞うこともあるのです。「光子の裁判」を読まれる前に種明かしをしてしまったみたいで、申し訳ないですが、こういった考え方が確立(実は、まだ解釈を巡って完全に確立したとは言い難いかもしれませんけど)してからまだ100年経っていないんですよ。

リンクの件ですが、どうぞ宜しくお願い致します。こちらもリンクをはらせて頂きたいと思います。また、私のブログに書いてはということですが、実は帰国したら本の感想と合わせて書くつもりでした(という訳で、帰国後にまとめて書きます)。物理学者って変な人種だと思われているかもしれませんが、普通なんですよということを言いたくて(笑)
みつこさ~ん! お手上げ!
ピアノ弾きの物理学者さまへ:
「光子の裁判」読みました。
じっくり、ゆっくり読みましたが、
最後の弁護人の論述(p116~)から、
皆目、理解できなくなりました。

こういうものは、その状態が、一つの無限次元複素空間内の原点から射出する一本のヴェクトルで示される…

この箇所から???です。

みつこさんが壁Kのどの地点に到達するかは、
窓Aと窓Bの「二つの」位置によりア・プリオリではなく、ア・ポステオリに決まる…ということなのかなぁ?

「光子の裁判」を最初に読んだのでわからないのかもしれません。
前の2編も読んでみます…が、他に読む本が詰まっているので、しばらくあとになると思います。

やっぱり、エイリアンの考えてることは、私にとっては不可解じゃ…。

けど、面白い!

神はさいころを振らない
数学的な部分はわからないと思いますよ。状態(波動関数と言っても良いと思いますが、いずれにせよ意味不明ですよね(笑))が一つの無限次元複素空間(無限次元ヒルベルト空間)内のヴェクトルで表されるというのは、量子力学の数学的な記述に関することなので、一般人には分けわからんという感じでしょう。この部分は理解する必要の無い部分です。
詳細は、帰国したら書きますが、量子力学というのは、本質的に確率という概念を内包しているので、2つの窓の位置が固定されていて、同じ条件でみつこさんが出発しても、壁Kのどの一に到達するかは確率的にしか決まっていないのです。だから同じ条件であるにもかかわらず、毎回壁のどの位置に到達するかは100%の確率では予言できないのです。これは、ハイゼンベルグの不確定性原理により言えることです。これは、かのアインシュタインに「神はさいころを振らない」と言わせた概念ですね。
私の方のブログのコメントにわかりやすい(わかった気にはなるかも?)かもしれない動画のリンクをはりましたので、ご覧下さい。
詳細はまた今度ということで。
政党支持率と出口調査?
動画、わかりやすかったです。(少なくともみつこさんの裁判より)

特定の1個の量子について、AかBどちらのスリット(窓)を通るかは、
①「観察」という“介入”?がはいると、妙なことになる
②観察なしの結果を「記述」することはできる
③記述を数学的(確率論的)に分析して「予測」することはできる

ということなんでしょうか?
②に相当するところが、私が「アポステオリに」と舌足らずで表現したところにあたります。

「事前予想通りの選挙結果」がでた2大政党制選挙において、

結果は最初から予測できていた。
Xさんの投票行動を投票所についていってじぃっと観察することは違法。
出口調査で聞くことは可能。
出口調査の被調査者の投票行動で選挙結果は予測できる…、みたいな?

ついでに、私は、みつ子さん、りょう子さん、よう子さん、なか・さが子さんの区別(カテゴリーの位相)がついていません…ちょっと勉強しないと!
(光子・量子・陽子・中性子)
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 長女ぽんは飛び立ち、長男ばぶは羽ばたき練習中。空きの巣になっても、仕事・趣味・体力作りに励み、楽しく暮らしていきます!
 読書・音楽・ウォーキング・軽登山・水泳のことなど…日々の記録です。

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