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2013. 03. 18  
今朝からの雨、昨日のTOEIC討ち死に、花粉症かカイロの好転反応か知らんが全身倦怠感…と、気分はブルーです。
春愁というものですかね?

うーん、やっぱり娘が遠方でひとり暮らしをするということが、この春愁の原因みたい。

朝からうつうつとしていたけれど、じっくり春愁を味わって吟味してみよう…と次のようなプロセスで思うようになりました。

「娘の不在」は問題ではない。これは確か。それほど寂しいとは思わない。
娘がこれから遭遇するであろう、いろいろな困難や面倒、ホームシック(?)を考えると…これが私のdepressionの原因。
ということは、つまり、我が身を娘の立場に置いているということ。
実際のところ、娘は希望にあふれ、ルンルンと楽しげに新生活・新学期の準備をしているのに。

私が、娘を外側から見て「たいへんねぇ」と“同情”sympathizeしているとすれば、「いや、そんなことないよ。私は大丈夫。」という娘の一言で片付く問題。

ところが私は、娘と我が身を“同一視”identifyしてしまっている。
しかも、いつかの記事で書いたように、人生上り坂の娘と下り坂の自分を同一視したってロクなことはないことはわかっているくせに。

でも、この、親の子どもに対する思い(not to sympathize but to identify)は人類普遍、というと大げさだけど、のことじゃないかしら?

私の母はとってもドライでさばさばした気性だけど、私の子どもが病気になった時、とっても心配していました。
その時、母が私にぼそっと言ったことは、「○○ちゃん(私の娘)が心配というより、あんた(私)が、親としてすごくつらいだろうと思うと、気が気じゃないほど心配。」
つまり、母の心配は、孫に直接向けられたのではなく、子どもの私の身になっているからのことだったのです。

小津安二郎の『東京物語』で、笠智衆と東山千栄子の夫婦が、波止場(だっけ?)で「やっぱり孫より子どもが可愛いねぇ」という意味のことを話すシーンがありましたよね。

このセリフの深遠な意味が(まだ孫はいないけれど)、この頃、やっとわかってきました。
孫そのものが可愛いのではなく、「子どもを可愛いと思う」子どもが可愛いから、“連鎖的に”孫が可愛い。

以上のようなことで、この“春愁”は、無理におさえこむのではなく、「ま、こんなもんさ」と抱えておこうと…。

ところで、外国語学習をしていることの利点に、自国語ではあまりにも心情や身体性に密着しすぎていて明晰に分析できないことが、外国語だと“お客さんの目”から見ることができる、ということがあると思います。

Sympathy, empathy, identification---例えば、今回はこれらの語の意味を考えることによって、自称「認知療法」ができたような気がします。

以上、自分で読み返しても、意味がわかりにくい…。
おばさんのつぶやきです。
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